「美術科による人間教育」の研究 −心の教育の基礎として− 発表者:前川 ゆみ子 指導教員:押谷 由夫先生
1 問題の所在、目的と方法 (1)問題の所在 1.なぜ、美術を学ぶのだろうか?教育現場での 美術教育の役割(意義)の重要性が認識されていないところに美術教育の曖昧さがあるのではないか。 2.美術教育と道徳性の関係が十分に明らかになっていないのではないか。 3.集団で学ぶ場(環境)としての学級が、教科を学ぶところの各個人に大きな影響を与えているのではないか。 4.中学校美術において「見る目」・「美しさを感じる心」・「創りたいと思う心」を育てるのにふさわしいカリキュラムになっていないために、美術が苦手・嫌いという意識をもたせているのではないか。
(2)研究の目的 1.美術教育が人間形成に欠くことのできない総合性をもっていることを明らかにする。 2.美術教育の可能性は、心の教育の可能性になっていることを探る。 3.学校で学ぶことは、教科の学習であり、生活で学ぶことである。学級という生活の場がいかに教科で学ぶことに影響するかを明らかにし、よりよい学級活動及び道徳の時間を提案する。 4.人間を育てるという視点に立った(より一層道徳性を育むことを意識した)カリュラムとはどのようなものであるかを明かにして授業提案する。 (3)研究の方法 1.文献や先行研究を収集して、研究する。 2.美術の学習に対する興味・関心・意欲等々についてアンケート調査を行い、生徒の実態を把握し考察する。 3.教材研究を行い、「自分らしさを表し、自分らしくよりよく生きていく力」をつける指導案を提案する。 ○よりよく生きていく力―道徳性との関係を意識しての力 4.美術教師として創作活動をしつづける。
2 章の構成 ◎第一章 美術による人間教育 @ 美術教育の目的とは ハーバード・リードによると教育の一般的目的は、人間の個性の発達を助長するとともに、こうして教育された個性をその個人の所属する社会集団の有機的統一と調和させるためにある。美術教育は、個々の人間の知能や判断の基礎となっている諸種の感覚の教育である。すなわち、調和のとれた人格形成の一助となることが目的と考える。これをもとに、美術教育の役割及び求められているものについて考察する。 A 芸術とは 「芸術」の概念が広義に解釈される現代において、芸術とは何かを考えておくことは、美術教育を考える上で必要なことと考える。 現代における「芸術作品とは何か」について研究する。 B 知覚と想像 美術体験により育まれる想像力(想像は、「イメージ」(image=影像)の多数を相互に関連せしめる能力である。)は、生きていく上において欠くことのできない重要な事柄である。 どのような方法をもって強化し、生きる力をつけていくことができるのか、事例研究を行いながら明らかにする。 C 美術の学習に対するアンケート調査 美術の学習に対する興味・関心・意欲等々についてアンケート調査を行って実態を把握する。それを基に、生徒が学ぶべきことは何か、心を豊かにしていくものは何か考える。
◎第二章 美術教育と道徳教育 @ 感性的(美的)なものと道徳性 『芸術は教育の基礎たるべし』プラトー 人間は、その肉体的、感覚的生存において美の法則になじむまでは、善なるもの、真なるものを知覚することができないし・・・、 と解釈するに、感性的(美的)なものの要素は、私たちが何かをしようとする時に、その目的から外れないようにさせてくれるものである。その目的から外れないように善い行いをするというものだけではなく、人間が他者と共によりよく生きていくために必要な価値であり、正に道徳性を養うものである。このことについて実践事例をもとに研究する。 A 中学校学習指導要領美術編と中学校学習指導要領道徳編との関係 美術教育の意義と重要性及びそれが『心の教育』とどのように関わっているかを調べ、美術の学習を積み重ねることが「心の教育」の基礎になっていることを伝えていく。
◎第三章 教科指導と学級活動 @ 諸外国の美術教育 わが国だけではなく諸外国の美術教育がどのように行われているのかについて調べ参考にする。 A よりよい人間関係を築く特別活動 学校で学ぶことは大きくこの二つに分けられる。「教科の学習で学ぶこと」と「生活で学ぶこと」である。まず、生活で学ぶことの意義について事例研究を行いながら明らかにする。 B 教科と学級活動 学校で学ぶことは大きく二つに分けられると述べたが、生活の場がいかに教科で学ぶことに影響を与えるか、影響を与えないものかを実践事例をもとに明らかにし、特別活動(学級活動)のはたす重要性を示す。 ◎第四章 中学校美術科指導案の開発 @ 中学校美術科の基礎・基本とは 美術は、一人ひとりの表現の中からそのよさを見いだし、これを助長することで「見る目」・「美しさを感じる心」・「創りたいと思う心」を育て、人格形成の一助となることが目的と考える。そのための基礎的なデッサン力と色彩の諸要素、基礎的な技術の習得は教えなければならないものであると考えるし、はずせない基礎・基本であると思う。その上で一人ひとりの表現について助言していくことが大切であると考える。はずすことのできない基礎・基本について研究する。 A より一層道徳性を育むことを意識した指導の提案 基礎・基本の考えを押さえながら、どのような学習から道徳性を育むことがより一層できるかを考えて指導内容を提案していきたい。
3 研究内容 ◆ 第一章 C 美術の学習に対するアンケート調査 生徒が学ぶべきことは何か、心を豊かにしていくものは何かを探り、美術の学習をよりよいものにするために、授業についてのアンケートを現任校の全学年に実施した。回答数は、381名と不登校・欠席の12名を除く回答が得られた。
「美術の学習に興味をもっている」かどうかという内容については、60%以上の生徒が興味をもっているということで関心が高かった。10%の生徒は、まったく興味をもっていないという回答であった。学年別に見てみると2学年の興味関心が54%と低かった。 「興味をもっている理由」について聞いたところ、完成した時に喜びを感じる生徒が40%と高く、次に自分の考えや思いを表せるが20%であった。自分で得意と感じている生徒は17%と少ない。
「興味をもっていない理由」について聞いたところ、自分で不得意と感じている生徒が49%と多く、自分の考えや思いを表わせないが21%、完成した時に喜びを感じることができない生徒が8.7%いた。
描く活動(どちらかというと平面の表現活動)とつくる活動(どちらかというと立体の表現活動)について聞いたところ、描く活動に興味をもっている生徒は67%で、つくる活動に興味をもっている生徒は73%であった。平面と立体の顕著な差はなかったが、粘土や木材・石を用いたレリーフや工芸の領域のほうが興味が高いことがわかった。
見る活動に興味をもっている生徒は56%で、どちらかというと興味をもっていない生徒は28%で、鑑賞の活動に対して関心の 低さが感じられた。
美しいものにふれた時に感動するかについては、感動するは40%と低かった。(聞き方の不明確さがこのような数字に表れたようにも感じるので検討したい。)
このアンケートの結果から、生徒が学ぶべきことは何か(=指導しなければならないこと)を考えてみた。約4割の生徒が美術にあまり興味を示さないのは、自分で感じたことを表すことが大切であり、そっくりに描けることが最大の目的ではないにしろ、「そっくりに描けない」・「自分の思っているように描けない」という技術的な未熟さを捉えて不得意である、故に嫌いである。という流れになるところにあると考える。 であるならば、苦手・嫌いの意識を取り除かなければ、美意識は育っていかない。人は、できるならば苦手なことは取り組みたくないものであるが、あえてスケッチやクロッキーをくり返し積み重ねることで、描写に対する技術的な向上をめざしていくことが必要であると考える。また、適切な配色のために色彩の知識も必要であろうし、絵の具をとく水の適切な量の経験も必要であろう。 つくる活動のほうに興味関心が高いのは、技術的な未熟さが表れにくい、客観的にみて他の人との完成度の違いが表れにくい、ということからきていると考えられる。生徒が好んで行う活動もカリキュラムの中に入れていくことが、「創りたいと思う心」を育てるために必要だと感じる。 鑑賞の活動に対して関心が低いのは、鑑賞する環境が与えられていなかったためではないだろうか。美術館へ行くだけではなく、家庭や地域での取り組みも考えなくてはいけないと考える。 美術科の基礎・基本が見えたアンケートであった。 ◆ 第二章 @ 感性的(美的)なものと道徳性 「美」・「感性的(美的)なもの」・「芸術」は、私たち人間に何を与えてくれるのだろうか。美を感じることは私たちが生きていくのに何か意味や価値や役割があるのだろうか、と思索することは西欧で言うならば遥か古代ギリシャにまでさかのぼり、 「美学」という学問の名称と実質的確立は、18世紀中葉のドイツの哲学者A・Gバウムガルデンに始まったという。「芸術とは何か」ということについてプラトーンとヘーゲルは、次のように考えていると述べられている。 【プラトーン】 芸術を他のものと区別し、最初にまとまった見解を出した。それによると、「芸術家はある対象に共感しこれを制作的に模倣(ミーメーシス)し、鑑賞者はそれを受け入れるというミーメーシスによってその、対象に近づく。」模倣ということから芸術を特徴づけた。 【ヘーゲル】 感覚的な現象である「美」というものを、ある感覚的対象の形で成立せしめる人間の営みが芸術である。
芸術と言ってもさまざまなものがあるので、分類について調べてみた。 分類は、具体的に作品の実例がある程度以上揃っているような時に分けることができる。例えば、カインツは、時と空間によって分類した。
このように分類する意味は、以下のようなことであり、教育現場では、3と4に関わりが大きいと考える。 1.時代や地域による芸術活動の状況とか個々人の芸術へのかかわり方などを知ることができる。 2.新しい種類の芸術をつくり出そうとする際に刺激となる。 (たとえば、静止的なジャンルと考えられていた彫刻に動きを与えてみるとか) 3.これらを生み出すのに必要な材料、道具、場所、時間、力などが見えてくる。 4.社会生活の中で例えば、芸術教育の学校での学科やコース分けに用いられている。
次に芸術を生み出す制作の側から芸術を調べて見た。
その時にその場所でどのような材料・道具が調達できるかが、制作に大きな影響を与える。 例 古代ギリシャの大理石彫刻 現代のプラスチックによる作品 コンピューターによるポスター作品
芸術的制作の多くは、この内なる意欲であるが、 外からの働き(注文)という場合と合わさっていることもある。 例:古くは教会、王侯貴族などであり、近代はブルジョワ、 各種組織(会社・公共団体など)、 一般のファンなど
始めは、外からの力により制作に向かっても制作中に自らの意欲で制作にあたるように変化することがある。 美術科の課題も始めは外からの強制力であろう。
内なる意欲がなぜおこるのか?
何かをつくる、することが楽しいということを知っていて、その喜びを味わいたいからでる。 これにはその人の育ってきた環境や教育が大きく影響する。 きく影響する。
喜びの種類 模倣の喜び 自己表現の喜び
風景をよく描ければうれしい、喜びになる。
自分の喜怒哀楽などの感情、考え、夢、願いなどをものに表すことにより喜びになる。 また、自分の考えを他の人に伝えてわかってもらうことによる喜びもある。 また、何のためというわけではなく表さずにはいられないという心の叫びも芸術といわれている。
これら自己表現は、近代以降の芸術制作の特性となっている。
どのように設定されるのか? すでに存在するものを見てそれと同じようなもの、また少し変化を加えたものを目指していく。 このためには、すでに存在する(存在すること、存在するものの役割など)ものの知識がなければつくろうという気にはならないであろう。
次に芸術を受け取る側から芸術を調べて見た。 制作には、制作自体が制作者にとって意義あるものであり他の人がそれをどう受け止めようが受け止めなかろうが関係ないというものもあるが、その場合でも一旦制作が完了し作品となったら制作者を離れて存在する。 制作者を離れて存在する作品は、その後どのような意味をもつのか。
1.芸術作品は鑑賞者に感覚的快感を与える。 例えば、 廊下や部屋に絵を掛けて楽しむ。 音楽を聴いて気持ちが休まる。
2.芸術作品は鑑賞者に精神的喜びを与える。 これは以前に西欧の国から帰国した方に聴いた話しですが、(もちろん、全ての人がということはないでしょうが)何か辛いことがあったり苦しいことがあったり、悲しいことがあったりした時こそ美術館に出かけるのだそうです。経済的に豊かというわけでなくとも出かけるのだそうです。さまざまなジャンルの絵画や彫刻を鑑賞し楽しさやうれしさや安心感等を心に入れてくるというわけです。 例えば、小さい時から親しんでいる教会と宗教画などが組み合わせられて精神的喜びを得るのかもしれません。 3.ファイン・プレーは知的判断がともなう喜びを与える。 ファイン・プレー(美事な技)とは、誰でももっているわざではなく特別なわざがあってこそ可能となった行為でそれに出会った時に、「すごーい」・「わぁ」など喜びを生む。これは、何がすごいことであるかと知っていてこそ出てくる喜びである。 芸術(絵画・彫刻・工芸・デザイン・音楽・演劇・文芸)、スポーツ、料理等にみられる。 芸術、芸術を生み出す制作、芸術を受け取る鑑賞の面から得たことは、芸術が商品としての売買や政治的な目的ももっているにせよ、人間は生きていくうえにおいて何らかの喜びや楽しみを味わいながら生きていくものであり、自分というものを外に表しながら(認めてもらいながら)生きていくものなので、芸術は人間にとって欠くことのできないものであるということを再確認した。 その欠くことのできない芸術(人間の高度の知性と感性とわざとによって生み出された具体物)はバウムガルデンが創始した「美学」によってさらに感性論・感性学として研究された。感性はどのような役割を演じ、どのような意義をもつものなのかと。それによると、感性的(美的)なものは[本能による状況整理的振る舞いに関係するようなものを領域としてもつ]ということである。すなわち価値判断の基準に関係するではないかと考える。 * 「感性的(美的)なもの」を感ずる心のことを「美意識」 と学術用語では言い表している。 美とは、「美しい」という形容詞が「良い」、「ふさわしい」、「すてきな」、「立派な」、「高貴な」、「正確な」等々の意味と密接に結びつき、そのようにして言い表される何か対象の状態や感覚的質を、受けとった側の主観的な「快適さ」として言い表した言葉である。その対象は、たんに自然的事物や制作物だけではなく、人間の社会的行動や思想、それらを表現した言葉、科学の実験などにまで用いられているということである。
人間の行動の規範としての道徳観や善悪の基準として「美しいもの」は、私たちに「快さ」を感じさせるのだと考える。(主観的にだけではなく客観的に見ても良い・ふさわしい・正確な等々と思いが同じになる場合においてである。) 故に、「美しさを感じる心」を育てる、鍛えることが人間として望ましい生き方を求め生きていく時の道徳性の根底になると考える。 4 今後の課題 @ 芸術教育学について研究を深める。 A 学習指導要領などの文献による研究を深めるとともに教材研究を行い、「自分らしさを表し、自分らしくよりよく生きていく力」をつける道徳性との関係を考えた指導を研究する。 B 美術教師として創作活動をしつづける。 【引用・参考文献】 ○ ハーバード・リード(植村鷹千代・水沢考策訳)(1979)『芸術による教育』美術出版社 ○ 『世界美術大学学長サミット』朝日新聞 紙上採録(2009.12.12) ○ 河村茂雄(2001)『タイプ別!学級育成プログラム中学校編』図書文化社 ○ 武藤三千夫・石川毅・増成隆士著(1985)『美学/芸術教育学』勁草書房
|