道徳性の芽生えに繋がる幼児間の感情共有に関する研究

ー幼児期の共感性の発達を通してー

発表者:湯浅阿貴子

 指導教員:押谷由夫先生

 

1、 問題の所在と目的

人間は生後間もなくから他者を認識することができ、乳児期になると他者の意図を理解しようとする動きが見られるようになるといわれている。

(2008)は子どもの心の育ちの問題が深刻化している要因として、「他者との共感的かかわりの困難」が指摘されていること、その問題解決に向けた取り組みが求められていることを述べている。本研究では、特に次の点を明らかにすることを目的としている。

・乳児期に育つ共感性をもとにしてどのように共感性が発達していくのかを、道徳性の発達との関連も踏まえて明らかにする。

・共感性を構成する要素を探りながら、共感性の発達要因を明らかにする

それらを踏まえて、幼児が共感する対象とはどのようなものか、共感性は幼児の生活の中でどのような役割を果たしているのか、どのような体験が幼児の共感性を高めていくのかについて調査をもとに明らかにする。

 

2、全体構想 (太字ゴシック:発表箇所)

序章

T、問題の所在

U、研究の目的

第一章 道徳性の発達と共感性

第一節 幼児期における道徳性の発達

()幼児期の道徳性に関する諸論

   ()幼稚園教育要領における道徳性 

     の発達に関する見解

第二節 幼児期における共感性の発達

 ()共感性の定義

() 共感性の発達  

第三節 道徳性の発達にかかわる共

感性

()愛他心と共感性の関連

()社会性と共感性の関連

第四節 道徳性の発達に関する諸論

と共感性

()ピアジェの道徳性発達理論から

   ()ヴィゴツキーの理論から

()フレーベルの幼児保育論から

  ()ホフマンの共感性の発達理論

第二章 共感性を構成する要素

   第一節 幼児の認知発達

    (1)心の理論の形成

    (2)役割取得能力の発達

   第二節 幼児の感情理解

    (1)自己投影による感情理解

    (2)間主観的理解

   第三節 共感性発達の基礎的発達

    (1)母親との愛着関係の形成

    (2)共同注意

    (3)模倣

第三章 調査研究

  第一節  予備調査

   (1) 予備調査(実験調査) 

   (2)予備調査からの仮説

第二節  本調査 (参与観察)

   () 遊びに見られる共感性

    ・親密性のある他者との遊び

    ・かかわりの少ない他者との遊び

    ・協同的な遊び

    ・対人関係に見られる葛藤的場面

第四章  全体考察

第五章  今後の課題

 

3、研究内容

第一章 道徳性の発達と共感性

第一節 幼児期における道徳性の発達

()幼稚園教育要領における道徳性の発達に関する見解

・幼稚園教育要領から

幼稚園教育要領には第1章に基本的な考え方が明記されている。そこでは、「幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なもの」とされ、幼児の発達の特性を踏まえ、環境を通して行なうものとして記されている。

2章「ねらい及び内容」には、幼稚園終了までに育つことが期待される育ちが記され、生きる力の基礎となる「心情」、「意欲」、「態度」について記されている。押谷(2006)は「幼児が幼稚園における生活の中で身につける諸能力は、いずれも身近なものとの主体的なかかわりを通してより良く生きたいという潜在的な欲求が顕在化したものと見ることができる」と述べ、それらの諸能力は子どもが道徳性を身につける上で基礎となるものであり、道徳性として位置づけられるものを多く含んでいる、と述べている。山岸(2000)もまた、「子どもの心を育てることや道徳性を発達させることは教育や保育の基本である」と述べており、他者と共に調和的に生きていくために道徳性の基礎を幼児期から培うことが教育の基本であると述べている。

以上のことから、幼稚園教育は幼稚園教育要領に記される「ねらい及び内容」にみられる指導を通して人格完成を目指しており、それは「幼児期に道徳性を育む」ということと同様の趣旨であると考えられる。また、「ねらい及び内容」は幼児の発達の側面から5つの領域に分けて明記されている。心身の健康に関する領域「健康」、人とのかかわりに関する領域「人間関係」、身近な環境とのかかわりに関する領域「環境」、言葉の獲得に関する領域「言葉」、感性と表現に関する領域「表現」として、教育目標の具体的な姿が5つの領域に分けて示されている。これらの領域の具体的な内容事項の中から道徳性の発達にかかわる内容を挙げ、幼稚園教育において道徳性の発達がどのように示されているのかについて検討したいと考える。

幼稚園教育要領に記されるねらい及び内容は「幼稚園終了までに育つ事が期待される育ち」であることから、発達の連続性を踏まえ、小学校の学習指導要領の「道徳」に見られる視点を参考に検討する。小学校学習指導要領の道徳では、道徳性を4つの視点から捉えている。そこで、幼稚園教育要領に示される5領域の内容と、小学校学習指導要領「道徳」の第12学年の内容項目の関連を見ていくと、主に幼稚園教育要領の領域「人間関係」が全ての項目が小学校学習指導要領の内容項目に関連していることが分かる。4つの視点のうち、1、2、4と3つの視点に行き渡っていることから、最も幅広くその要素が関連していることが窺える。幼児期の道徳性は全ての領域が相互的にかかわりながら育つものであるが、中でも「領域:人間関係」は幼児の道徳性を育む上で特に中核的な位置づけにあると考えられる。内容項目3の「自然や崇高なものとのかかわりに関すること」とのは関連が見られなかったが、内容項目3は、主に領域「環境」に多く含まれていると考えられる。

以上のことから、道徳性の育ちを検討する際に、視点を大きく分けると「自分を含めた人に対して」の領域と、「動植物などを含め、自然などの人間以外の環境に対して」の領域に分類して考えることができる。幼稚園教育要領では、幼児教育の基本として、環境を通して行なうものであると示している。そして、環境とは保育者や同年齢の幼児などの「人的環境」と自然や遊具・玩具などの「物的環境」に分けて考えられている。岸井(1990)は幼児期に育つものを図1のように図示している。

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図1、       岸井(1990)

心身の健康を土台としながらその上に、環境とのかかわりと、感性と表現を左右に分けて表している。岸井(1990)はこの左右に示された領域同士は相互的に関わりながら発達していくものであると述べた上で、環境とのかかわりの中心部に人とのかかわりを置いて示し、環境と人間関係の領域を「かかわり」という枠組みとして示している。  

以上のことから、5つの領域中でも人とのかかわりに関する領域「人間関係」は「人的環境」として環境に包括されるものでありながら、中核的な位置づけにあると考えられる。また、人間関係の内容のみに「幼児の道徳性の芽生え」という表現で幼児の道徳性について明記されていることからも、柱となっていると考えられる。従って本研究においては、主に人とのかかわりに関する項目「人間関係」を焦点化し、道徳性の発達に関する見解を検討するものとする。

・道徳性の芽生えを培う事例集から

平成13年には文部科学省より、「幼稚園における道徳性の芽生えを培うための事例集」が発行されている。学校教育では、小学校以上の段階では「道徳」が教科として位置付いており、発達段階に応じて道徳教育が行われている。それに対し、幼児の学習形態は、小学校以上の学校教育で行なわれる「授業」とは異なっており、教科として指導されるものではないことから、「道徳性の基盤を作る時期」とされ、「道徳性の芽生えを培う」という表現で幼児期の道徳教育についての考え方やその指導の手がかりについて示されている。ここに示される基本的な考え方の中からその特徴を挙げていくこととする。

はじめに、道徳性の発達とは、「他者や社会と調和した形で自分の個性を発揮できるようになることである」と示している。そして、その発達のために必要な力を3つに分けて捉え、以下のように示している。

@他者と調和的な関係を保ち、自分なりの目標をもって、人間らしくよりよく生きていこうとする気持ち

A自他の欲求や感情、状況を受容的・共感的に理解する力

B自分の欲求や行動を自分で調整しつつ共によりよい未来をつくっていこうとする力

人間は生まれた時には上記のような道徳性はもっていないが、基本的信頼関係を求める欲求は本能的な欲求をベースとしながら、やがて他者への共感性を豊かにしていくとしている。

また、道徳性の発達に影響を与える中心的な要因は上記に挙げたAの力が一般的とされていることが示されている。しかし、@の力もまた、乳児期から一貫して見られる重要な力であるとして、@の力はAの力の動機づけになっていると示している。また、幼児期はBの力が特に増大する時期であるが、その力が増大する要因は外の世界を知的かつ共感的に捉える力と関連しているとして、知的発達とそれに伴う共感性の発達が自我を抑制する力と関連していると示されている。

これらのことから、幼児期の道徳性とは、「他者や社会と調和した形で自分の個性を発揮できるようになること」とし、その発達に影響を与える要因は、上記の3つの力が必要であると、考えられていることが示されている。そして、発達を促す中心的な要因はAの力や、Bの力にも特に関連するとして、「共感性」が挙げられている。このことからも、幼児期に共感性の発達を促すことは、「道徳性の芽生えを培う教育」の中心的要素として位置付いていると考えられる。

第三章 調査研究

第一節  予備調査

 (2)予備調査からの仮説

平成216月上旬に年少児から年長児を対象に予備調査を行った。その調査の中で、他者の立場に立ち、相手を思いやるような回答をしている幼児の中に、実際の行動の中では他者に対して共感的でない行動をとる事が多い幼児が見られた。一方、実験調査では前者とは逆の反応をしていた幼児の中に、実際の行動で他者に対して愛他的な行動をする場面を良く見かける幼児も存在した。このことから、実際に他者との関係の中で発揮される共感性と、架空の場面で発揮される共感性は必ずしも一致しないのではないかと考える。またその要因として、@対象が実物ではないことA相手との幼児との関係性がないことB脈絡がなく、切り取られた場面であることなどが考えられる。

幼児の行動抑制についての研究を行った柏木(1988)は幼児を対象とする自己制御機能等の測定において日常的な場面と切り離し、統制された実験的手法が多く行われていることに対し、「測定間の関係や日常行動との対応などの検討が不十分であることは片手落ちである」と述べ、日常行動との対応を吟味する事の重要性を指摘している。また、幼児の共感性の発達に関するこれまでの研究は、絵とストーリーの提示によってその発達を測定する方法が多くみられ、被験者である幼児は、読み聞かせられる物語のストーリーを通して相手の感情を判断するものであった。しかし、このことについて澤田(1992)は提示されるストーリーとその中の人物はあくまでも仮想的なものであり、そこでの反応は実際の生活場面で生じる共感反応とは異なり、生態学的な妥当性を欠いているという指摘が見られる事などから、「一定時間内に提示されるものに対して子どもが自分の感情を切り替えて共感したとしてもそれは浅いレベルであり、真の感情の共有ではないことが考えられる」と指摘している。

以上のことから、実験として測定する共感性は明らかな数値として示すことができる一方で、不十分な面も指摘されている。このことから、共感性が実際に発揮されるのはどのような対象や場面なのかを検討するため、日常的にかかわる他者との関係に見られる共感性に着目したいと考える。

 道徳性と共感についての関連について研究を行ったhoffman(1981)は幼児は性別や人種、更には性格的特性など類似性の高いものにより共感的に反応すると論じている。

以上のことから、

1)幼児の共感性は親密な関係にある他者とのかかわりによって発達が促されるのではないか

(2)かかわりの少ない他者とは感情を共有しにくいのではないか

(3)他者とのかかわりにおける葛藤体験は共感性を発達させる契機になっているのではないか

(4)ルールのある協同的な活動は、様々な他者とのかかわりによって共感性を促す体験になるのではないか

という仮説のもとに、日常的に観察を行い、検証を行なうこととする。

岡本(2005)は幼児の遊びについて「どの遊びもさまざまな機能の発達の上に成立している」として、遊びが子どもの発達の姿や個性を最も生きた形でとらえる窓となると述べている。また、遊びが自発的な動機付けによって展開されるものであることから、幼児の発達が顕著に表れると考えられる。

以上のことから、幼児の遊びに着目し、@親密性のある他者との遊びAかかわりの少ない他者との遊びB協同的な遊び(ゲームなどルールのある遊び)C対人関係に見られる葛藤的場面、を中心に観察を行い、事例を分析することを通して幼児の共感性の発達を検討したいと考える。

第二節  本調査 (参与観察)

 () 遊びに見られる共感性

・親密性のある他者との遊び

3歳児(2)

 

≪考察≫

  この会話はボールを運びながら2人の間で交わされた言葉であるが、Yの「こっち」という表現は、Yが考える方向であり、具体的な方向は示されていない。しかしながら、A子は「うん分かった」と答えている。反射的に答えたという可能性も考えられるが、その後も息を合わせて共に運んでいる。AはYの見る先やボールを動かす方向など、言葉以外の手がかりからYの意図を理解しようとしていたものと考えられる。

  Aの言葉を通してYはAの意図を共有している。また、大きなボールを一緒にもつということも、「手で押し上げ合う・運ぶ」という感覚的な共有が成立しなくてはこの動作が成立しないものと考えられる。

  はじめはY子が「よいしょ」と言ったことがきっかけになり、2人の間で言葉が繰り返されたが、言葉が重なったことで言葉の響き自体が面白くなり、2人でその面白さを共有し笑っていたものと考えられる。

  の行動も、  で言葉の面白さを共有しているのと同様に、同様の行動をしてみることによって「言葉と感覚」を共有し、感情の共有へと繋がったものと考えられる。できる。

以上のように、感情を共有するには、言葉、行動、意図、感覚など他者と同様であると感じられる要素と、AとYのように互いの感じていることや行動の意図を理解したいと思えるような他者の存在が必要であると考えられる。

 

・親密性のある他者との遊び

5歳児(7月)「薬作り」

女児3人で「魔女の薬」を作ろうとしてアジサイや木の実、混ぜる為の棒など、3人で同じものを同じ個数拾う。

≪考察≫

  のC子とR子の言動は、偶然同じ現象になったことを通して、驚きや喜びが生じていると考えられる。   では、嗅覚を通した感覚が3人一緒であることが確認できた事に、嬉しさや面白さなどを感じ、笑いが生じている。  では、R子の提案にC子が同調し、3人で黄色い葉をちぎって入れた事も、新たな展開を一緒に楽しみたいという期待をもっているからと考えられる。  C子が思いだしたように、新しい混ぜ方をする。それに続いてR子、M子も一緒に行なっている。穴の中に棒を入れてかき混ぜる感覚がそれまでの混ぜ方で得られる感覚と異なっていることに面白さを感じ、しばらく続けていた。

これらのことから、行動を共にすることで、触角、嗅覚、視覚など感覚を共有し、「くっついた」「臭い」など感覚を言語化することによって、互いに伝え合っている。同じように感じていることが確認できたことにより笑いが生じ、感情が共有されたものと考えられる。

・親密性のある他者との遊び

5歳児(7)「宝探し」

≪考察≫

保育者の問いかけにK男が答え、  に見られるように互いの答えに同意している。遊びの内容の捉え方が一致をしていることがこの遊びを進めるにあたって前提にあることが窺える。

  T男の提案にK男が同意している。その際、K男の表情が笑顔に変わり、頷きながら答えていた。その表情はT男の提案を「いい考え」として肯定的に捉えている事が周囲にも伝わってくる表情や動作だった。すると、T男もK男が笑顔で了承したことによって笑顔に変わる。

その後、M男が  T男のように本を広げて見始めるところからは、T男とK男のやり取りを見て、自分もそのようなやり取りをしたいと考え、同様の行為を始めたものと考えられる。そして、地図ではない本を地図に見立て、探検をするという自らのイメージを他者と共有しようとしている。

それに対してK男は「よし、じゃあ、あっちの方に…」と応答し、M男のイメージである「あっちの方」を理解したというサインを示している。そして「探しに行こう」という発言がここで発展させるきっかけとなっている。それを見ているT男も「見つけに行こう」と発言していることから、この展開を理解し、意図を共有しているものと考えられる。

4、今後の課題

・文献研究を進めることで共感性の発達に関する理論の理解を深めていく。

・文献研究を進めることで、幼児教育において幼児の共感性の発達がどのように捉えられてきたのか検討していく。

・これまで収集してきた事例の分析を行い、

幼児の共感性の発達の相違点を検討して

いく。

・事例研究の分析を行い、理論との整合性を検討していく。

 

 

主な引用・参考文献

 

)星信子「感情の発達」『児童心理学の進歩』日本児童研究所 金子書房 2008

)小田豊・押谷由夫『保育と道徳−道徳性の芽生えをいかに育むかー』保育出版社 2006

)山岸明子編著 『道徳性の芽生え―幼児期からの心の教育−』チャイルド社2000

)岸井勇雄『幼児教育課程総論』同文書院1990

)柏木恵子『幼児期における“自己”の

発達』東京大学出版1988

)澤田瑞也『共感の心理学―そのメカニ

ズムと発達』世界思想社1992

)HoffmanML.『道徳性の発達―道徳的思考・感情・行動の発達―依田明監訳』 現代児童心理学4 情緒と対人関係の発達 金子書房1981

)岡本夏木『幼児期−子どもは世界をど

うつかむかー』岩波新書2005

)文部科学省『幼稚園における道徳性の

芽生えを培う事例集』2001

 

 

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